豊臣秀吉

都名所図会で辿る江戸時代の京都
第30回・伏見で始まった徳川家の江戸幕府、家康が成し遂げた天下泰平(1598〜1615)

天下を我がものにした豊臣秀吉は慶長3年(1598年)8月に伏見城で没した。しばらくは死んだことは隠され翌年に埋葬されることになる。 秀吉は死後の政治の運営を徳川家康・宇喜多秀家・上杉景勝・前田利家・毛利輝元の五人を五大老 […]

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都名所図会で辿る江戸時代の京都
第29回・新たな政治の城下町、伏見の誕生(1591〜1598年)

豊臣秀吉は天下統一を果たすべく天正13年(1585年)の紀州と長宗我部が支配する四国を、天正15年(1587年)に九州の島津氏に、天正18年(1590年)に小田原の北条氏を攻め国内を平定しました。朝鮮攻略の文禄の役をはじ […]

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WA-5・伏見城の跡を辿る

豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた際に政治を行なった指月の丘と伏見山に作られた伏見城。秀吉の没後徳川三代の征夷大将軍の任命の場となりました。近代に入り明治天皇陵となり今は森となっています。伏見城の痕跡を辿ります。 開催コース […]

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プライベートウォーキングツアー
WA-4・宿場町伏見を歩く

豊臣秀吉が作った城下町伏見、江戸時代は宿場町として栄え、現代では酒蔵の町として有名です。港湾都市だった施設を巡りながら伏見の町を歩きます。 開催コース  集合場所 京阪中書島駅 解散場所 京阪伏見桃山駅 (さらに&hel […]

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都名所図会で辿る江戸時代の京都
第28回・都の新たな支配者、豊臣秀吉(1582〜1592年頃)

明智光秀が敗れた後、羽柴秀吉は織田軍勢内で地位の確保に動いた。6月に清洲において信長の後継を決める際に秀吉は信忠の息子で3歳の三法師を担いだ。これにより柴田勝家との亀裂となった。秀吉はさらに天正10年(1582年)10月 […]

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取材紀行
明智光秀の最後の戦い、山崎合戦を辿る

天正十年(一五八二)年六月二日、羽柴秀吉の援軍として亀山城から出陣した明智光秀は、なぜか西国に向かわず都に入っていた織田信長を本能寺で、息子の信忠を二条御所で討ち取りました。そして秀吉は中国大返しと呼ばれる尋常ではない移 […]

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