都名所図会で辿る江戸時代の京都
第29回・新たな政治の城下町、伏見の誕生(1591〜1598年)
豊臣秀吉は天下統一を果たすべく天正13年(1585年)の紀州と長宗我部が支配する四国を、天正15年(1587年)に九州の島津氏に、天正18年(1590年)に小田原の北条氏を攻め国内を平定しました。朝鮮攻略の文禄の役をはじ […]
第28回・都の新たな支配者、豊臣秀吉(1582〜1592年頃)
明智光秀が敗れた後、羽柴秀吉は織田軍勢内で地位の確保に動いた。6月に清洲において信長の後継を決める際に秀吉は信忠の息子で3歳の三法師を担いだ。これにより柴田勝家との亀裂となった。秀吉はさらに天正10年(1582年)10月 […]
第27回・戦国時代の都で散る信長と光秀(1540〜1582)
応仁・文明の乱から山城国一揆と都の政教は混沌としていった。天文5年(1536年)に比叡山と法華一揆による天文法華の乱により下京が荒廃し、立場を失う室町幕府の足利家と、将軍家を暗殺までする有力武家達の台頭、そして武力に抵抗 […]
第26回・戦国時代の始まり、応仁・文明の乱と山城国一揆(1410〜1500年頃)
足利義満の死後、4代目将軍となった義持は諸外国での兵の挙兵により代わり5代目の義量を立てるが若くて死に、6代目に義満の子である義教が義持の子供らと相手にした籤引きにより将軍に就いた。 義教は永享7年(1435年)に延暦寺 […]
第25回・足利義満の室町幕府の黄金期(1368〜1408年頃)
室町幕府にとって足利尊氏と後醍醐天皇との確執によって、天皇家が二つに分かれた南北朝時代は、是が非でも統一をしなくてはいけない課題であった。貞治6年(1368年)、二代目将軍の足利義詮が死亡したことによりその子である義満が […]
第24回・京都五山の成り立ち(1300〜1400年頃)
京都五山は中国の五山十刹の寺格ににならい、鎌倉幕府から導入された。臨済宗(禅宗)の寺が対象で、北条貞時により鎌倉の浄智寺が五山の始まりと言われ、京都の建仁寺・東福寺も含めて数えられるようになった。第一位に建長寺(鎌倉)・ […]
第23回・後醍醐天皇の建武の新政と足利尊氏の室町幕府(1320〜1341年頃)
承久の乱で後鳥羽上皇を配流した北条家による鎌倉幕府は、100年も経つとの統治が緩み始めた。この頃の天皇家は文永9年(1272年)に後嵯峨法皇の崩御後、大覚寺統と持明院統に分かれる両統迭立となって交互に天皇を立てる事態とな […]