大いなる都、平城宮跡を巡って奈良時代を体験してみる
奈良市の西側にある平城宮跡歴史公園。平城京は藤原京から710年に遷都され、東西4.3km・南北4.8kmに東側の東西1.6km・南北2.1kmの張り出しがあった日本最大の都市でした。平城宮は中国の唐の長安城を模して作られ、国際的な街づくりを目指しました。途中何度か別の地へ遷都されましたが、74年間も日本の中心であった平城京は、後の長岡京と平安京に影響を与えました。
平城宮は発掘調査により東西南北約1kmと、東西250m・南北750mの張り出し部分が国営公園となって開放されています。
公園内には復元された大極殿・大極殿南門・朱雀門に、発掘で見つかった史料や当時の様子の模型といった平城宮を紹介する施設が多数あり、1日で回るには大変な内容です。駆け足で施設を紹介していきます。
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平城宮の入り口、朱雀門ひろば
公園の南側は朱雀門ひろばで、バスや自動車といったアクセスの起点となっています。朱雀門前の広場は、当時ここから3.7km南にあった羅城門から平城宮へ向かう幅75mの朱雀大路を再現しています。大陸から来た人々は、大極殿へ向かう広大な道幅を歩いてくることにより、成長しつつある日本の発展を感じていた事でしょう。
平城宮の入り口の門、朱雀門。発掘調査により平成5年から平成10にかけて復元されました。この門から周囲約1kmを塀で囲った部分が平城宮になります。
朱雀門ひろばの東西には史料・観光施設があり、東側は発掘史料などを展示する平城宮いざない館です。
入り口の近くには棚田嘉十郎の像があります。明治時代の1896年(明治29年)、平城宮跡は田園地帯でそこに住んでいた柳田は訪れた人々に平城宮の跡を尋ねられるものの、明確には答えられなかった。
柳田は当時の地名から平城宮の場所を推察し、掘ってみると当時の遺留物が見つかった。そこで平城宮の発掘と保存を思い立ち全国から多くの寄付を集め、さらに私財を投じ土地を買い占める様になった。
平城宮保存に邁進する柳田だったが、ある問題により自身の身の潔白を示しすために自決します。平城宮に関わった人は他にも幕末に研究をして「平城宮大内裏跡坪割之図」を作った北浦定政といった人々により研究・保存がなされました。
こうした努力から大正11年に大極殿・朝堂院跡が史跡に指定され、昭和53年の平城宮跡保存整備基本構想に基づいて建物の復元がなされ、2018年に平城宮史跡公園となりました。
平城宮いざない館には様々な展示物があり、平城宮の案内図があります。
館内の大型復元模型。この館だけでも一般の博物館並みの大量の展示物があり、全て見るだけでも時間がかかります。
西側には天平つどい館・みはらし館・うまし館・みつき館の4つの施設が集まっています。みつき館はお土産や観光案内所、うまし館はレストランです。
南側には復元遣唐使船が展示されています。
乗船も可能で、当時の船の作りがわかります。この船で遣唐使たちは太宰府から中国へと渡り、大陸文化を取り入れていました。
みはらし館には展望フロアがあり、平城宮全体が眺められます。また館内のVRシアターでは3本の映像が視聴でき、平城宮の成り立ちなどがわかります。
その他にもレンタサイクルが借りれたりと、つどい館と合わせて平城宮の情報が得られます。
東院公園から第二次大極殿へ
朱雀門から東へ反時計回りに回りましょう。朱雀門の東側に壬生門跡があります。奈良時代後期は平城京から恭仁宮〜難波宮〜紫香楽宮へ遷都を繰り返し、再び平城京へ戻ります。その際に大極殿は東へ移動し、同じように朱雀門の東にあった壬生門が玄関となりました。
平城宮の東の張り出しにあるのが東院で、平成10年に東院庭園として復元されました。
奈良時代後期を想定して復元された庭は、池を配置した優雅なもの。ここでは天皇が宴会や儀式を行う迎賓館的に役割があったと言われます。この奈良時代の庭園形式が平安時代の庭園に影響を与えたのでしょう。
北へ進むと遺構展示館へ。発掘調査と発掘された状態の遺構が見れます。
建物の遺構は主に柱を建てた跡でその規模がわかります。普通は保存のため再び土で埋め戻されますが、ここでは発掘された状態が見れる貴重な施設です。
西側の建物群は復元された推定宮内庁の遺構です。
建物内は机や椅子といった家具などが復元されています。今にも役人が出てきそうですね。
天皇の住まいだった内裏跡。立っている木は建物の柱の位置を表しています。
平城京は740年に恭仁京へと都が移り、難波宮〜紫香楽宮へ転々として再び745年に平城宮へ戻ります。その際に大極殿は第一次大極殿の東側に建てられました。ただ、初めの大極殿は恭仁京へ移築されてそのまま残り、場所を変えて再建されました。
こうして見ると内裏から少し離れているため、内裏の表側への移転は利便性を考えたかもしれません。
復元されていく第一次大極殿院
平城宮で中心となるのが大極殿。天皇の即位や正月行事なの、国家的な式典に使われる施設です。
見上げると扁額が書かれています。
中に見学する事ができ、天皇が座る高御座が復元されています。
また鴟尾といったものも展示されており、技工を間近で見ることができます。
西へ進むと平城宮跡資料館へ。主に発掘調査の過程や出土品が展示されいます。
奈良文化財研究所の50年に及ぶ発掘の歴史が垣間見れます。
復元が進められ、3月19日に一般公開された大極殿南門。建築するための巨大な素屋根と朱色で煌びやかな真新しい古代の門との対比がなんとも言えません。
復元に関しては当時の工法を再現しているため、現代的な作りと違うのがよく分かります。
南門の西側にある復元事業情報館。ここでは復元に使われた技術が紹介されています。
木組の方法や屋根といった工法が間近で見られいます。奈良時代の技術を現代に復活させるという、途方もない労力を感じさせられます。
南門の隣では東楼の復元が始まっています。2025年11月の完成予定で、将来にわたり西楼と大極殿の周りの回廊が復元されていきます。
朱雀門ひろばへ戻る際には近鉄の線路が横断します。将来の計画ではこの線路も地下へ付け替えられ、史跡を横切る車窓からの眺めも見納めの日がくるのでしょう。
来訪時は春の陽気で桜が満開で素晴らしい歴史探報でした。広大な平城宮は当時の姿を復元すべく、まだまだ変化していきます。