秀吉が作ったとされる宇治川の堤から始まる、お茶の町の新たな観光拠点「茶づな」を訪ねた
宇治といえばお茶と平等院が観光の主たるところですが、京阪宇治駅から北へ宇治川沿いに歩くと、発掘された史跡宇治川太閤堤を整備した史跡公園をはじめ、宇治茶の魅力や宇治の歴史・文化を情報発信する施設「お茶と宇治のまち歴史公園(愛称)茶づな」が2021年10月に全面オープンしました。
「お茶と宇治のまち歴史公園」は、宇治の新たなる観光拠点となる施設として期待されています。
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宇治の情報発信基地・「茶づな」
公園は宇治川の真横、茶畑の向こうに特徴的な建物が目につきます。
建物は4つの屋根が連なって構成されています。
見る角度によって印象が変わり、正面から見ると3つの屋根でまるで動いている?かのような錯覚に陥ります。それでは入ってみましょう。
玄関には案内所の向こうに武人を思わせる絵が出迎えます。
玄関には豊臣秀吉が宇治川の河川改造を行い、その史跡が残る事に因んでの絵が飾られています。
玄関の横にはミュージアムの入り口があり、宇治茶の歴史がわかる展示が楽しめます。
左手には土産物コーナー。お茶に関する物も多いですが、一風変わった物も。
宇治を象徴する黄金の宇治橋!地元の金属加工会社が製作するもので、もちろん購入できます。
茶づなでは体験プログラムに力を入れており、二つの部屋でいろいろなプログラムが用意されています。
建物の奥に進むと宇治の観光案内の紹介コーナーになっています。まずは大画面で検索できる「宇治まちあるき」デジタル案内板。
もう一つが宇治周辺のお店のカードが置かれている「宇治まちさんぽ」。カードは無料でもっていくことができ、それをお店に見せることで、特典が受けられます。
最後にあるレストラン『とにまる茶づな本店』。いろいろな軽食やデザートが楽しめます。
一番目立つのが大きな綿菓子で囲った「わたあめバーム」。隠れているアイスクリームとバームクーヘンでいろんな食べ方ができそうです。
江戸時代初期の護岸が見れる、宇治川太閤堤跡
この公園は一帯が史跡公園となっており、発掘調査から16世紀末の護岸遺構が再現されています。
公園内には現代の茶畑があり、復元された石出しが川に向かって作られています。こうした史跡は宇治川から流れる土砂が堆積したため、良好な形で残っていました。
各史跡に関して詳しい説明板が設置されています。
茶畑庭園にある小さな小屋。玉露や抹茶の原料となる碾茶を育てるために覆いをするための小屋を再現したもので、何の変哲もない建物に見えますが、江戸時代の建築を再現すべく、屋根の瓦は萬福寺で使われていたもの。
建物は今の家屋では使われていない土壁でできています。是非近寄って見てみてください。
北へ進むと菟道稚郎子(15代応神天皇皇子)墓の横には、石出しと池で発掘された護岸の再現がされています。
石積みの間に杭が打たれている当時の様子が再現されています。宇治川は琵琶湖から流れる大量の水に対応すべく、石を緻密に積む技術で護岸整備がされていました。
これらの石積みはガラス繊維をコンクリートに混ぜて発掘された石積みを形取ったパネルで作られた擬岩で、実際に発掘されたものは地下2メールに埋められています。
豊臣秀吉は文禄元年(1592)に上流の伏見に宇治川を眺める指月の丘に城を構え、伏見を城下町として整備しました。その際に水運を整備すべく、巨椋池に流れ込んでいた宇治川の流れを堤を作ることにより伏見へと流れを変え、宇治川一帯は大きく姿を変えました。
宇治川水運は江戸時代でも重要視され、堤の護岸整備は木津川と共に水害が発生して破損した場合には、周辺地域の人たちにより修繕されました。
こうした護岸工事は幾度となく行われ、史跡で再現された石出しなどは、当時の技術力を伝える貴重な資料と言えます。
大坂から淀川、奈良から木津川、大津から瀬田川を行き来した多くの船が、こうした岸に集まっていたことでしょう。
宇治川を眺めながら、人々の集いの場として
茶づなのおすすめスポットは2階にある展望テラス、大きな屋根の下から宇治の町が眺められます。
また2階には講演室もあり、今後いろんなイベントが開催されそうです。
また茶づなにはコインパーキングもあり、自動車での来訪もできます。宇治観光の基点として便利です。
宇治市街では宇治橋を中心とした観光スポットがたくさんありますが、茶づなはこうした観光情報の基点として、また一息つける休憩所としても最適な環境にあります。
お茶を飲むようにホッとして史跡散策を楽しんでみてください。