第2回・平安京遷都前の地域を束ねる氏族達
平安京に遷都される前、都となる地域はどういった場所だったのかを見てみることにする。
5世紀の京都盆地には渡来人が住み、有力氏族による土地の開発が行われていました。そうした氏族にまつわる神社は平安京遷都よりも以前に存在し、今も有名な神社として存続している。
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加茂氏
下鴨神社(左京区下鴨泉川町)
上賀茂神社(北区上賀茂本山)
北部を勢力地としていた賀茂氏には上賀茂神社と下鴨神社がある。二つで賀茂社と呼ばれ、賀茂建角身命(かもたけつのみこと)を祀っている。
秦氏
蚕の社(右京区太秦森ヶ東町)
松尾大社(西京区嵐山宮町)
北西部を勢力地としていた秦氏は、木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ・通称蚕の社)は養蚕・機織・染色といった製糸業、松尾大社は酒造といった産業を得意としていた。
伏見稲荷大社(伏見区深草藪之内町)
秦氏は東側の伏見稲荷大社の創建にも関わった。
広隆寺(右京区太秦蜂岡町)
広隆寺は推古天皇11年(603年)に秦氏が聖徳太子に仏像を賜り、建立されたとされる。国宝第一号となった弥勒菩薩半跏思惟像がある。
八坂氏
八坂神社(東山区祇園)
斉明天皇2年(656年)に高麗から来た伊利之(八坂氏の祖先)が、八坂の地に新羅国の牛頭山の神、素戔嗚尊を祀ったのが始まりと言われる。天長6年(829年)に紀百継が創建した感神院、貞観18年(876年)に円如が堂を建立し、天神の祇園神が祇園林に降りたことで祇園社になった、と創建には由来が多い。現在の八坂神社になったのは慶応4年(明治元年・1868年)の神衹官達によるもの。
法観寺(東山区清水八坂上町)
聖徳太子創建といわれ、それに八坂氏も関わったとされる。治承3年(1179年)に紛争に焼失、源頼朝により再建、現在は永享12年(1440年)に足利義教に再建された。八坂の塔で知られる。
小野氏
崇道神社(左京区上高野西明寺山)
北東部の小野氏は小野妹子と繋がりがあり、現在の崇道神社から妹子の子である小野毛人の墓と墓誌である国宝「金銅小野毛人墓誌」が発見された。
粟田氏
粟田神社・東天王社(東山区粟田口鍛冶町)
粟田神社は牛頭天王ゆかりの地とされ、貞観18年(876年)に藤原興世のお告げによって奏上し、清和天皇の勅命により創建された。
平安京となる地域にはこのような有力豪族が多く存在し、都の発展に寄与した。
参考文献
京都・観光文化検定試験公式ガイドブック(淡交社)
京都府立京都学・歴彩館デジタルアーカイブ
フィールド・ミューアジム京都
京都観光ナビ
各寺社の公式サイト・参拝のしおり・由緒書き
※各説明文に関しては史料などを参考に、独自に考察しています。(2021.2/16改訂)